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山田明爾先生との出会い  

 
山田明爾先生(1935年-2015年)は、龍谷大学名誉教授の仏教学者です。京都大学や龍谷大学の学術調査隊として、アフガニスタンや中国長江流域などの仏教遺跡を長らく調査されました。2003年に、未知の交易ルートを検証するためにアフガニスタンのケリガンを訪れ、バーミヤン遺跡の西方にも仏教寺院跡があることを世界で初めて発見し注目されました。70歳を越えた2005年以降も、龍谷大学中央アジア学術探検チームのメンバーとして、アフガニスタン、イラン、トルコ、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの古代遺跡を精力的に研究されました。

 私の山田先生との出会いは、1985年ごろ、龍谷大学大学院の卒業生で「辻佳代子モダン・ダンス・カンパニー」を主宰していた辻佳代子先生から、山田先生を紹介されたのが最初です。当時、私は辻先生のダンスの門下生で、かつ、京都大学大学院の修士課程の学生でした。山田先生は、私の研究もどきの話にも興味深く耳を傾けてくださり、先生の懐の深さに感激したのを覚えています。

 その後、私は京都を離れ、山田先生にもお会いすることはありませんでしたが、私が2011年から中央アジアで調査を始めたのを機に、山田先生が書かれた論文を読むことがあり、ぜひもう一度お会いしてお話しを聞けないものかと思いめぐらしていました。

 そんな折、2013年10月に嶋田義仁先生(当時、名古屋大学教授)主催の中央アジアの交易に関するシンポジウムに山田先生をお招きすることになり、先生と20年ぶりの再会を果たしました。そのときの講演の題目は「古代通所路と仏教伝搬」で、仏教を広く東へ西へ伝えた人々は、学識のある僧侶のみならず、民間の商人たちであったことを力強く語られました。また、先生の講演に登場する「謎のサカ人」は、まさに私の研究地域であるカザフスタンの先住民族であると思われ、私の研究との接点ができました。

 この講演で映し出された美しい写真のすべてが、山田先生ご自身が現地で撮影されたものと知り、たいへん驚きました。  また、それらの写真に写されたのいくつかの遺跡が、1980年代のアフガン戦争により破壊され現存しなくなったと聞き、ぜひ、貴重な写真を後世に残してもらいたいと、アーカイブによる保存を先生に提案しました。

 その時以来、亡くなるまでの1年半、山田先生は遠い記憶をたどって、写真の選別とキャプション書きに集中されました。残された時間の中でどの写真を選ぶかについて、私は遺跡や建物の写真を優先されるものと思っていましたが、山田先生は、「戦争によって人々の生活も破壊されてしまった。僕は人々の風習や生活、文化の写真を、まず残したい」と言われ、人物像や生活、風習、風景の写真を優先して選ばれました。山田先生の、人間の営みへの深い慈しみが偲ばれます。

 

「遺跡写真データベース(2015年7月改訂・山田明爾先生記す)」凡例

1. 地名;ローマ字綴りと、かな表記の一致は不可能なので、撮影場所(小分類)にはローマ字綴り、その他の箇所では同一場所名を仮名表記にすることで、双方を示すことにした。

2. 「〈遺跡の〉丘」を意味するイラン(ペルシア)語は、Tepe,Tapa、Tapah, Tepa, Depe,  その他が言語圏別に、あるいは恣意的に用いられている。そこで、ローマ字の場合は【例;Skandar-tepeのように】便宜上 –tepe を後ろにつける形に統一し、仮名表記は一般に用いられる呼び名を採用している。

3. 地名は特に厄介である。パミールの東の一帯は、同一地区がタクラマカン、タリム盆地、東トルキスタン、新彊ウイグル自治区、狭義の西域やシルクロードなど異なる数種の名で呼ばれる。
パミール以西も、南のアム河(ギリシア語でオクサス)と北のシル河(ギリシア語でヤクサルテス)の間、今のウズベキスタン全域とタジキスタン西部辺の総称は、ソグディアナ(ソグド人の地、ギリシア語)、トランス・オクシアナ(オクサス河のかなた、ギリシア語)、マー・ワラー・アンナフル(川向の地、アラブ語)、西トルキスタン(現代の命名)などと呼ばれる。

 また、ウズベキスタン=タジキスタンの南部とアフガニスタン北部にわたるアム河中流域一帯は、バクトリア、トハリスタン(トハラ、トカラ、吐火羅、大夏)などと呼ばれる一区域とされる。
ホラーサーンは、現在はイラン東北部の州名であるが、歴史的にアフガニスタン北部のバクトリア、ウズベキスタン西南部のブハラ、トルクメニスタン南部のメルヴ、イラン東北部のニシャプール(現ネイシャーブル)、アフガニスタン西部のヘラートにまたがる地域がホラーサーンというひとつの行政単位であった。

 時代によって行政単位の境界や、同じ地域の名称が異なるので、専門家以外にとってこのあたりの地名はわかりにくい。

 トルキスタン(トルコ系言語の人々の土地)という呼称も時には一般読者に誤解を生みやすい。「トルコ系言語」と言っても現代国家トルコを基本にした呼び名ではない。現代国家「トルコ」はトルコ系のうち最西端に移住した民である。トルコ系言語は九世紀ごろタリム盆地から西に広がりはじめ、現在のキルギス、ウズベク、トルクメン、カザフなど他にも多くのトルコ系言語の民を生み出した。学界では現代国家を「トルコ」、西に広がったトルコ系を「テュルク」と表記することが多い。

 テュルク系諸民族のうちウイグルが15世紀まで仏教を奉じていた例はあるが、多くの場合「テュルク化」は「イスラーム化」を意味する。中央アジアに仏教が栄えた紀元前後からほぼ千年の間、この地域にあって仏教伝播の主役を演じた多くは、トルコ系ではなくインド・イラン系の人々だったので、テュルク語である「トルキスタン」という後代の呼び名は、仏教史を語るにはふさわしくない。

4.
 日本語「の」、英語“of ”に対応するイラン語は“-i ”または“-e” の使い分けは必ずしも統一していないが、多くは“-e”を用いる。【例;Shahr-e Zohak、Zohakの町】

5.
 町”shahr”は一般に「シャフル」と仮名書きされるが、ここでは“シャール”に改めた。仮名の「フ」は‘fu’音を表し、‘h’音に対応しない。他の場合も母音を伴わない‘h’は長音記号「―」とした。【例;王Shah=シャー】

6.
 イラン語は三つの母音a (ā)、i (e、y)、u(ū ,o,v,w)のうち‘a’が表記される場合は‘ā’と長音が表記され、他の音には対応の文字の一つが採用される。母音表記を伴わない子音は慣例によって適当な母音が振られるのが通例であるが、固有名の場合あまりにも仮名表記が長くなるので、習慣的な呼び方を適宜に採用した。【例アフガニスタン/āfghāni stān=アーフガーニスターン、Jelālābād=ジェーラーラーバード、中には誤りの表記が一般化した例もある、Kābl=カーブル】

アーカイブ
遺跡写真データベース 238MB(ZIPファイル)

山田明爾先生略歴(Wikipediaより抜粋)

1935年(昭和10年)2月18日 宮城県仙台市に生まれる。
1963年(昭和38年)3月 龍谷大学大学院博士課程文学研究科仏教学仏教史学専攻 単位取得満了依願退学
1963年(昭和38年)4月 龍谷大学仏教文化研究所 助手 (1967年(昭和42年)3月まで)
1967年(昭和42年)9月 インド・ナーランダー仏教大学院(パーリー研究所) 専任講師 (1969年(昭和44年)8月まで)
1970年(昭和45年)4月 龍谷大学文学部 兼任講師 (1975年(昭和50年3月まで)
1972年(昭和47年)4月 京都大学人文科学研究所 兼任講師 (1973年(昭和48年)3月まで)
1974年(昭和49年)9月 京都大学文学部 研究補助員 (1974年(昭和49年)12月まで)
1975年(昭和50年)4月 龍谷大学短期大学部 助教授 (1980年(昭和55年3月まで)
1980年(昭和55年)4月 龍谷大学短期大学部 教授
1993年(平成5年)4月 名古屋大学大学院国際開発研究科 兼任講師 (1993年9月まで)
2003年(平成15年)3月 龍谷大学短期大学部定年退職
2003年(平成15年)4月 龍谷大学名誉教授
2004年(平成16年)1月 アメリカ・ウィットマン大学客員教授(平成16年5月まで)
2015年(平成27年)8月10日 逝去 法名『自然院釈明爾』(80歳)

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