中央アジアにおける牧畜社会の動態分析―家畜化から気候変動まで

日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(A)  JP18H03608 平成30年~令和4年度(2018~2022年度)

研究概要

 本研究は、中央アジア牧畜民の環境利用、生業―経済活動、他民族との関係を「牧畜連続体」の観点から歴史生態学的に解明することを目的とする。歴史軸の中心に「家畜化」を据える。中央アジアはウマ、ラクダなどの大型家畜の起源地であるが、「家畜化」とはその始源のみならず、動物の肉、乳、皮、毛、運搬力、移動能力などを次々と引き出す、現在にまで連続する人間と動物の相互交渉の場を意味する。自然環境、社会経済的状況の変化に応じて、家畜の形態や群れ構造は変容し、人間の社会もそれに応じた変化をする。この相互作用が「歴史生態」であり、これを人類学、生態学、遺伝学、歴史学の分析手法によって解明する。本研究は人類史における家畜化のプロセスを明らかにするだけでなく、ロシア、中国の政治経済的影響を受け続けた当地域の史的独自性と現状のより正しい理解を導き、さらには気候変動の影響を受けやすい中央アジア地域の資源の持続的利用に資することができる。

研究背景

 中央アジアは古くはシルクロード交易と南北交易によって「文明の十字路」といわれ交易路のイメージが強いが、歴史的にも現代においても、実際は地域独自の人間活動が生起してきた場所である。中央アジアは単なる通過点ではない、という認識が本研究のそもそも最初の問題意識であり、その内実を問うことが本研究の核心である。

中央アジアには多くの遊牧民、農耕民、交易商人が暮らし、食料を生産し生存する場であり続けてきた。とくに、古代から現在まで様々な遊牧民が生業活動を繰り広げ、その延長上にこそ交易も存在したのである。ネイチャー誌に発表された最新の研究(Frachetti 2017)によると、古代のシルクロードは4000年前以降の遊牧民の移動パターンによって形づくられたという。人間が遊牧によって自然資源を利用してきたことが、交易ルートの地理的特性に影響を与えてきたのである。大国間の交易を可能にしたのは遊牧民の生業活動であった。 

 この中央アジアを諸民族が相互に影響し合う一繋がりの地域として理解するために、「牧畜連続体」という観点を導入する。牧畜社会(遊牧は牧畜の一形態である)の特徴は、人間が家畜群とともに移動する技術をもった社会であることであり、牧畜とは人間と家畜群が共生したときにはじめて可能となる生活様式である。そのため、牧畜社会にとって家畜とは単なる経済的手段でなく、社会制度や時間観念、社会の倫理や社会組織などと密接に関わってきた。また、家畜のみでの栄養学的な自給自足は難しく、多くの牧畜社会は、周囲の農耕民や狩猟採集民と交易したり、牧畜社会自身が補足的に農耕や狩猟・漁撈・採集をしたりする傾向がある。牧畜民は家畜を介して自然環境と結びつき、彼らの親族組織や社会制度が家畜群の影響を受け、さらに家畜群と人間家族の共生的発展のために、他集団との物品の交換や人の移動を盛んに行ってきた。この複合的な関係は「牧畜連続体(Pastoral Continuum)」(Spencer 1997)といわれる。スペンサーはアフリカの牧畜民研究をもとに、近年牧畜民が直面している環境問題(砂漠化)や社会問題(周辺化・貧困化)に対する彼ら自身の「伝統」の弾力性を強調し、牧畜民以外を含む複数民族がダイナミックに相互作用しつつ、全体として共存している状態を「牧畜連続体」と概念化した。 

 本研究では中央アジア諸民族を、独自性を有する「牧畜連続体」ととらえることで、中央アジア地域の実体と現状を分析する。さらに、この牧畜連続体の成立を歴史的に遡ることで、中央アジアに牧畜社会が起こった起源を明らかにしたい。このためには「家畜化」という分析概念が必要である。 

 中央アジアは、ウマ、ラクダといった大型家畜の起源地である。最近の研究においては、家畜化とは一度限りのイベントではなく、動物の肉、乳、皮、毛の利用に始まり、運搬力、機動力など動物の能力を人間が次々と引き出して使用する長いプロセスと捉える考え方が広がっている。このプロセスにおいて動物の形態や行動も変化し、同時に人間側の社会組織や遺伝的特性(例えばラクトース耐性遺伝子の増加)も変化する。家畜化とは「動物と人間の相互交渉の総体」であり、現在もまた家畜化の連続的過程にあるといえる。 

 とくに、大型家畜は、肉・乳などの食用、毛・皮・骨の衣服や道具、工芸品への利用、糞の燃料利用、そり、荷車、井戸の引き綱などの牽引、人がまたがる騎乗、荷役を載せる運搬、儀礼の文脈でみられる象徴的使用など多岐にわたる。そしてこれらの利用は、時代に応じて食糧増産、芸術、交易、戦闘というかたちで、人類史を推進してきた。またウマ、ラクダは地域によっては未だに半野生的であり、自律的に群れを形成して暮らしている。人間が家畜の探索と捕獲に、毎朝数時間かける場合もある。これらの意味で、大型動物は現在も「家畜化」の過程にある。本研究でこの意味での「家畜化」の全体像を解明する。

研究目的

本研究の目的は、二重の構造をなす。一つは、中央アジアの牧畜民を「牧畜連続体」の観点からとらえなおすことにより、環境利用、経済活動、民族間関係を解明することである。諸民族が相克しつつ共存している牧畜連続体という概念は、中央アジア地域を研究する際の共通認識へと発展させることができる。このことで、中国の「一帯一路」構想などで先鋭化されている中央アジア諸国の経済格差の問題、また、気候変動にともなう砂漠化や雪害などの環境問題に対して解決策を提言することが現実的射程の枠内で独自性をもつ目的である。 

 本研究のより長い射程は、人類史における「ヒト―動物関係」のプロセスを解明することである。大型家畜の起源地である中央アジアにおいては、歴史的に、また現在においても人間と動物の新たな関係が生起し進行してきた。この「家畜化」の過程をたどることで、本源的な地平における人間と動物の関係が明らかになる。人間-動物相互交渉のプロセスとして家畜化をとらえる研究は近年盛んになってきている。本研究は動物行動学と牧畜技術だけでなく、遺伝子変化と考古・歴史資料も分析対象に加えて家畜化を解明する。 

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